歌詞の意味・考察

DAOKO×米津玄師「打上花火」の歌詞の意味・考察・解釈まとめ

ライター:chikako.m 40代女性
米民歴:1年

 

DAOKO×米津玄師「打上花火」歌詞全文

作詞・作曲:米津玄師

  歌手:DAOKO、米津玄師

 

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿

寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音

何度でも 言葉にして君を呼ぶよ
波間を選び もう一度
もう二度と悲しまずに済むように

はっと息を飲めば 消えちゃいそうな光が
きっとまだ 胸に住んでいた
手を伸ばせば触れた あったかい未来は
ひそかに二人を見ていた

パッと花火が
夜に咲いた
夜に咲いて
静かに消えた
離さないで
もう少しだけ
もう少しだけ
このままで

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

 

 

DAOKO×米津玄師「打上花火」の誕生背景

DAOKOさんと米津玄師さんがコラボレーションした楽曲『打上花火』は、2017年8月18日に公開されたアニメーション映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌として、制作されました。

映画の原作は、1993年に制作された、岩井俊二監督のテレビドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』です。

テレビドラマの反響が大きく、1995年には映画として『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は劇場公開されました。

1993年から24年の時を経て、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、再び、美しいアニメーションという技法で映画として再制作されたのです。

原作とは、設定やフォーカスする視点を変えて、アニメーション版の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は制作されています。

岩井俊二監督は、思春期を題材にした物語の映画制作に、高い評価を受けています。

また、岩井俊二という才能ある監督の誕生は、映画の助監督をしてきた、映画を学ぶ学校を出ている等という、一般的な監督のデビューの仕方をしていず、一風変わっています。

まだ、何も映画を作ったことなどない、素人の状態で、「自分は映画監督だ」と名乗り、映画を作るために、プロのスタッフを集めてしまったのです。

何とも大胆な監督デビューの仕方ですが、それを怖れない、確かな自信と才能を自ら確信していたのでしょう。

岩井俊二監督のこのエピソードは、米津玄師さんやDAOKOさんが、動画を投稿して、自分の才能を自分で発信していったデビューへの道のりと、何処か通じるものがあります。

岩井俊二、米津玄師、DAOKO。

世代を超えた、才能ある3人が、アニメーション映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』と、主題歌『打上花火』の誕生に関わり、作り上げられたのです。

また、米津玄師さんは『打上花火』を制作するに当たって、DAOKOんという個人的なパーソナリティーを踏まえて、DAOKOさんにふさわしい楽曲を目指して完成させました。

 

DAOKO×米津玄師「打上花火」のタイトルの意味

「打ち上げ花火」という言葉を耳にした時、どんな感情がよぎるでしょうか?

おそらく出てくるキーワードは、夏、浴衣、海、プール、かき氷、風鈴、うちわ、友達、等々の言葉で、想い起こされる感情は、はかない、甘酸っぱい、可憐、一瞬、淋しさ、等ではないでしょうか。

打ち上げ花火は、花火の製作や準備に多大な時間がかかり、見物に行く人々も浴衣を用意したり、友達と待ち合わせをしたりして、大混雑の人並みの中を、たった1時間程で見終わってしまう花火のために、苦労してまで見に行くという、人々を魅了するものです。

その反面、打ち上げ花火を見終わったあとの淋しさ、切なさ、何ともいえない感情が、余韻としてあります。

「打ち上げ花火」=はかなく、一瞬のもの

それは、10代の頃にしか味わえない、ほんのひと時の時間で、大人になると二度とない、きらめきの時間です。

『打上花火』とは、青春と名付けてしまうのは余りにも陳腐となってしまい、青春とも違う、ある一瞬の鮮烈な時と呼ぶことしか出来ない、言葉にするには非常に繊細な10代の頃の感情、のことなのです。

 

DAOKO×米津玄師「打上花火」のストーリー展開

あの夏の日、僕より大人びていた君は、浴衣を着て、まだ空が明るいうちから、海辺で、夜の花火大会を待っていたね。

少し離れた場所から、僕は君の浴衣姿に見とれて、波打ち際ではしゃぐ君のことを、ずっと見ていたんだ。

段々と日が暮れて、空が、青からオレンジ色に変わって、薄闇がおとずれて、暗闇になった。

僕は、君の隣に並んで、ふたりで空を見上げた。

大きな音がしていたのに、僕には、君と、打ち上げ花火の、色の鮮やかさだけが、今も残っている。

もしも。

君が遠くへ行ってしまうとわかっていても、僕が、あの花火大会の夜、勇気を出して、君の手にそっと触れて、君と手をつないでいたら、僕たちは離れ離れにならずに、一緒に居られたのだろうか?

もしも。

もしもなんて、在り得ない未来を、大人になってしまった僕は、今も胸に抱いて、君と海と打ち上げ花火を、思い出してしまうんだ。

打ち上げ花火を見た、あの夜、君が砂に描いた言葉は、今もわからないまま。

 

DAOKO×米津玄師「打上花火」の歌詞の意味・考察・解釈

1993年の原作から、24年の年月を経ても魅力が薄れない作品、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の主題歌である『打上花火』の歌詞について、考えていきましょう。

一貫して存在する普遍的なテーマ

幼い頃から10代にかけて、誰もが、忘れられない、記憶から切り取られた、たったひとつの大切な一場面を持っているのではないでしょうか。

淡い恋心とでもいうような感覚を思い出し、二度とあの頃のように純朴な想いを抱けない大人になってしまったことを、知ることになります。

同時に、その頃の友達との会話を思い出して、子供の頃にしかしない発想を持っていたことにも気づきます。

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のタイトルからわかるように、この物語に出てくる少年たちは、純粋に問うのです。

打ち上げ花火を、横から見たら、どう見えるんだろう?

大人なら、もう答えは知っていて、そんな視点さえ持たなくなっていきます。

誰もに当てはまる、世代や時代を超えた普遍性が、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』と、楽曲『打上花火』にはあるのです。

『打上花火』での、米津玄師さんのDAOKOさんと掛け合って歌うところと、ふたりで声を重ねて歌う箇所は、いつもの米津玄師さんの歌い方と違います。

とても優しい歌い方で、『打上花火』では、映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に出てくる少年たちを表現するかのような、DAOKOさんを可愛い女の子として、見守っているかのように聴こえます。

 

過去の選択への後悔

私たちは、毎日の中で無意識に、あらゆる選択をして生きています。

生活が順調な時には、そのことを気にも留めません。

ですが、何か上手くいかなかった時には、「もしも」と、違う選択をしていたら未来は良い方向にいったのではないだろうかと、考えがちになります。

もしも=if

実は、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の原作は、1993年のテレビドラマでは、「もしも違う選択をしていたら、未来はこうなった」という「if、もしも」というテーマで制作されたドラマの中の、一遍だったのです。

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、共感出来る、普遍性を含んだ物語です。

その主題歌である『打上花火』も、また、私たちに共感をもたらす、優しくも切ない楽曲になったのです。